想い出のサンフランシスコ(後編)

1 月 6th, 2009

「あいつ、このスティックを見たら、きっと度肝抜かすだろうな。」

学年一つ下のドラマー、ヨシノスケの家の車庫が俺たちの練習場所だった。
灯油の匂い漂う納屋にドラムセットが組まれており、其処にフェルナンデスのミニアンプを三台持ち込んで俺たちは演奏していた。演奏というより、ただ田んぼ相手に喚き散らしていた、といったほうが正確かも知れない。言いたいことなんてなかった。
思春期の苛立に理由なんてない。

中学の時剣道部だった、初心者ドラマー、ヨシノスケは竹刀をスティックに握りかえて毎日のように練習、あっという間に上達した。その頑張る姿に心打たれた僕は、このスティックをヨシノスケにあげたのだった。これをお守りにしてドラム頑張れよ、と。だが後日、いつものように練習場所に行くと、ヨシノスケが何やら神妙な面持ちでこちらの方を伺っているではないか。どうしたというのだ。なんと、練習熱心なヨシノスケは自前のスティックを全部折れるほど使い込んだ挙げ句、しまいには新しいスティックを買う金がないからといって、キュウちゃんのスティックで練習してしまったというのだ。ただでさえボロボロだったスティックがどうなったかは言うまでもないだろう。けれども、誰も文句一つ言わなかった。だって奴の手のひらはマメと内出血で腫れ上がっていたんだから。宝物は無くなってしまったけど、俺たちは代わりに、かけがえのないものを手に入れたんだ。
どうだ、最高にHIPな思い出だろ?

俺たちは最高だった。ミッシェルのコピーも少しずつ形になっていき、レパートリーも増えてきた所で、俺たちはミッシェルの「ブギー」と、一分半のオリジナル曲、ハードコア田んぼブルース「闘牛」の二曲を引っさげてアマチュアバンドコンテストに出場。前越(g、vo)西川(g)亀田(b)ヨシノスケ(d)のカルテットだ。僕はスーツ姿のカートコバーン、亀田の胸にはどでかいモッズマークがそれぞれプリントされていた。プリントごっこで印刷した、自作のイモ臭いTシャツである。ギターの西川英ちゃんはミッシェルの曲をやるにも関わらず、なぜか足下で「グランジ」のエフェクターを踏んでいたし、まじめなヨシノスケは緊張から高熱を出していた。勿論全員カールコードだった。こんな無茶苦茶なバンドだったけど、審査員が田んぼのブルース「闘牛」に釘付けになったらしく、審査員特別賞により、なんと金沢で行われる,北信越大会にまで出場するまでに至った。そこでの結果は散々だったけど、とにかく俺たちは最高にHIPだったんだ。

現在英ちゃんは石川県で女房の尻に敷かれながらも、2児のお父さんになっている。亀田は鈴鹿でサーキットの音を聞きながらサラリーマンをやっている。名古屋、大阪でのライブを見に来るが、その時にたまに自分の着なくなった洋服を持ってきて、プレゼントしてくれるのが嬉しい。僕ほどではないが奴はオシャレだ。ここでこうやって言っておけば、これからは毎回の様に洋服を調達してくれるかも知れない。ただ、モッズマークのプリントTシャツだけは勘弁だけどね。ヨシノスケはどうしてるかなあ?僕がドラムやってるって知ったら、きっとあいつの事だから、また目の色変えて練習するんだろうな。

「ずれたままでいった 帰り道知らない」

そしたら僕もギター練習するから、またいつかこの四人で「ブギー」を演奏
出来たらいいな。

「フラフラ咲いて カラカラ鳴いた」

なんか灯油臭いね。

「続いていくんだろう」

ミッシェルガンエレファント、今でも大好きだ。

Dr.マーチン

Dr.マーチン

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